株式会社ぱど

「マチコレ」第6回 浦和(埼玉県)

浦和の「う」は「なかせんどう」の「う」!

埼玉県の県庁所在地で、駅前にはショッピング施設も充実。名門校が多く、教育熱心な土地柄ということで知られる浦和は、2018年関東エリアの住みたい街ランキングで10位となった人気の街です。

浦和が今のように発展したのは、江戸時代に中山道の宿場町として栄えた歴史があったから。その歴史についての詳しく知るために、「さいたま市観光ボランティア 浦和ガイド会」の実施している浦和散策の「中山道浦和宿」コースへ参加しました。

 

「 中山道浦和宿」を散策!

 

今日は高橋さん、黒須さん、小野寺さんの3名のガイドの方が案内して下さいました。よろしくお願いします!

 

まずは「浦和うなこちゃん」。うなこちゃんは浦和うなぎのPRマスコットです。生みの親は、「アンパンマン」でおなじみの故・やなせたかしさん。

うなこちゃんはいつもうちわを持っているのですが、このうちわ、書いている文字がちょくちょく変わります。

 

(W杯前)

 

(予選リーグ初戦後)

 

ガイドの高橋さん

「このうちわは元・浦和区長の平沢さんという方が作られています」

 

大熊エリア編集長
「わざわざ作って入れ替えている人がいるとは! 驚きです」

 

ガイドの高橋さん
「手から引っこ抜こうと思っても、しっかり固定されているので抜けませんよ(笑)」

 

こまめに内容が変わってますね! うちわからもサッカー愛が伝わってきます。

 

うなこちゃんの前を通り過ぎ、駅前にあるショッピングビル「コルソ」の壁面にあるモザイク壁画の前へ。

 

ガイドの高橋さん
「こちらは浦和にゆかりのある画家・高田誠さんの作品が原画です。このコルソ内通路から埼玉会館までが『さくら草通り』と呼ばれています」

 

大熊エリア編集長
「こんなところにモザイク画があったことを、今まで知りませんでした…!」

 

『さくら通り』を抜けて、いざ、中山道へ! 中山道は今でも浦和のメインストリートです。

 


よく見ると、歩道には「中山道浦和宿」の印がありますね。
中山道沿いには、江戸時代からある老舗のうなぎ屋さん「山崎屋」があります。

 


ガイドの高橋さん
「うなぎ好きの昭和天皇も、こちらでうなぎを召し上がったことがあるそうです」

 

大熊エリア編集長
「昭和天皇も浦和のうなぎを召し上がっていたなんて! 地元民にとっては誇りになるエピソードですね」

 

山崎屋さんを過ぎると見えるのが、浦和センチュリーシティ。

 

ガイドの高橋さん
「こちらの3階にある『うらわ美術館』は本にまつわる美術品をコレクションの柱にしている、日本でも珍しい美術館。『ここで仕事がしたい!』とわざわざ地方から来て就職した学芸員さんもいるほどなんですよ」

 

その他、『うらわロール』でおなじみの「浦和ロイヤルパインズホテル」もこの建物中に入っています。

 

浦和宿はここにあった!

 

さあ、そしてついに仲町公園へ! ぱっと見は普通の公園で、平日はたくさんの子供たちで賑わっていますが、公園入口にある看板をよく見ると…。

 


ここに浦和宿本陣があったのです! 本陣とは宿泊施設の中でもっとも権威のあるもので、天皇のおつかいである勅使や、公家、大名、公用で旅をする幕府の役人などが宿泊するための施設です。

 

公園内には、明治元年と3年に明治天皇の行在所となった際の記念碑があります。とても立派な碑ですね。

 

ガイドの高橋さん
「他にも、加賀百万石の前田家が宿泊したり、徳川家茂に嫁いだ皇女和宮が昼食をとったという記録が残っています」

 

ガイドの小野寺さん
「昔の方は健脚で、江戸日本橋から熊谷くらいまで歩く場合が多く、加賀家のように浦和に宿泊する大名は珍しかったそうですよ」

 

大熊エリア編集長
「教科書に登場している歴史上の人物もここに来たことがあると思うと、少し不思議な気がします」

 

仲町公園から中山道の一本奥の道に入ると、市民の憩いの場所、常盤公園に到着しました。木々が生い茂り、自然豊かな落ち着くスポット。都会の一角とは思えないほど静かです。

 



ガイドの高橋さん
「常盤公園はもともと、徳川家康が鷹狩や視察をする際の休憩所として建築されました。その後、浦和地方裁判所が建設されましたが、このレンガの塀は浦和地方裁判所のときのもので、東京駅のレンガと同時代のものです」

 

大熊エリア編集長
「家康の時代に由来があるとは! どおりでスケールが大きいわけですね」
歴史の中で様々な役割を担ってきた常盤公園。江戸時代には一般の市民は立ち入れない場所だったのですね。

 

浦和の起源、二・七市場へ

 

ガイドの高橋さん
「次は、おまちかね! 二・七市場跡です。浦和の市場は戦国時代に開設され、二と七のつく日(2、7、12、17、22、27)に開かれたので二・七市場と言われています」

 

そんな昔から浦和は賑わっていたのですね!

 

「市神様」

 

「市場定杭」

 

市神と定杭と禁制を残す市場跡は、全国的にも例が少ないそうです。

 

ガイドの高橋さん
「浦和の外れの少し地味な史跡ですが(笑)、とても貴重な文化財なんですよ」

 


ガイドの高橋さん
「定杭と市神を建てた天保13年(1842年)の浦和宿の人々は、市神の前の台石に刻まれた年号(1528年)を市の起こり、定杭に刻まれた年号(1590年)を町の起こりとしてこの年号を刻んで大切にしてきたと思われます」

 

大熊エリア編集長
「つまり浦和は約500年も前から市場で栄えていたまち、ということですね!」

 

ちなみに、中山道から常盤公園へとつづく市場通りには、市場があった時代を再現した女性の銅像があります。

 

かなりリアルな銅像ですよね。ほぼ等身大で、夜見ると怖いかもしれません…。

 

ガイドの高橋さん
「この市場通りでぜひ見て欲しいのは、この建物です!」

 


ガイドの高橋さん
「京都の町家のように間口が狭くて奥が細長~い『うなぎの寝床』と呼ばれる造りです。家の間口の広さで税金を決めていた時代の面影を残している貴重な建物です」

 

大熊エリア編集長
「街中の至る所に、歴史を感じる場所が残されているのですね。今まで何気なく通り過ぎていた道が全く違って見えます!」

 

 

▶▶▶▶▶▶まだまだ中山道は見どころたくさん!次は浦和の神社仏閣を巡ります

 

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